#5「フレディー・マーキュリーの美意識」〜映画「ボヘミアン・ラプソディー」に寄せて
映画「ボヘミアン・ラプソディー」が記録的な大ヒットを続けている。
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私も観てきたが、自分のようなクイーンをリアルタイムで知っている人間にとっては、とても面白くしかも感動せずにはいられない映画だ。
しかしその後の、ここ日本での驚くべき大ヒット現象は、私にはまったく予想ができなかったものだった。
なぜなら今までこういう音楽映画というのは、たいてい私のような一部の洋楽ファンしか観ないものだったので、この作品もそういうものだと思っていた。
これは明らかにクイーンを知らない世代にまで、この映画でフレディー・マーキュリーやクイーンの魅力が伝わったという事だろう。
この映画の魅力は、映画館の大音響で聴いた時のクイーンの楽曲の素晴らしさと共に、なんといってもフレディー・マーキュリーという人間の人間的な魅力を描いた点にあるだろう。
私がクイーンを知ったのは洋楽を聴き始めてすぐの頃の1978~1979年頃だったので、すでに「ボヘミアン・ラプソディー」「伝説のチャンピオン」といった名曲を発表した数年後だったものの、その頃というのは、他にもイーグルス、レッド・ツェッペリン、ピンク・フロイド、フリートウッド・マック、ウィングスといった大物グループが現役だった事もあって、まだまだクイーンというグループは、イギリスや日本ではすごく人気はあったものの、アメリカではそんなに重要視されていない中堅のグループといった印象だった。
日本ではデビューして早い時期から、やたらに女の子達には人気があって、「ミュージックライフ」のような音楽グラビア誌によく取り上げられていたアイドルグループの印象が強かった。ちょうど今で言うBTSのような。
私は、その派手派手しい王子様風のルックスや、いつもワンパターンな仰々しい大袈裟なサウンドの曲に、どこか醒めていたというか、ばかにしていたというか、そんな感じだった。
だから1975年の暮れに発売されていた「ボヘミアン・ラプソディー」にしても、当時の世間的には、まだまだ私のようにばかにする人が多かったと思う。なんなんだ?この大袈裟な曲は?と。
だから、現在のように多くの評論家や多くの男性が大絶賛している状況というのは、当時ではとても考えられないものだった。
そして、その「ボヘミアン・~」の後もクイーンは、出す曲、出す曲、ワンパターンで大袈裟な曲ばかり。
「伝説のチャンピオン」に「ウィー・ウィル・ロック・ユー」。タイトルも大袈裟だ。
自転車のベルがチリンチリンと鳴った後、やっぱり大袈裟なサウンドになる「バイシクル・レース」とか「ファット・ ボトムド・ガールズ」とか、なんかダサいような変な曲ばかり出すグループだなぁ、と思っていた。
それにフレディー・マーキュリーの歌う時の衣装といったら、いつも半裸みたいなピターっとした体にフィットした感じのものばかり。
Queen - We Are The Champions (Official Video)
あと気になったのは、どうしてフレディーはマイクを普通のマイクを使わず、かといってスタンドマイクも使わず、スタンドマイクを抜いたようなのを使うのだろうと。
といった具合に、とにかくこのフレディーの独特の美意識というものが、当時の私にはどうにも理解不能でした。
女の子にとっては、こういうのがいいのかなぁ、なんて思っていた。
しかし依然としてクイーンには、イギリスの熱狂的なクイーンマニアと熱狂的な女の子ファンがついていた。
すでにイギリスでは大人気のグループになっていたが、アメリカでは中くらいの人気といった状態が何年か続いていた。
その状況が変わったのが、1980年に発表されたアルバム「ザ・ゲーム」だった。
このアルバムからの最初のシングルは、今までのクイーンの曲ではまったく聴いたことの無い雰囲氣の曲だった。
Queen - Crazy Little Thing Called Love (Official Video)
「愛という名の欲望(Crazy Little Thing Called Love)」はエルヴィス・プレスリーを思わせるロカビリー風の曲で、言われなければクイーンの曲とは分からないほど今までのクイーンの曲とはかけ離れていた。
私も初め聴いた時はすぐにはクイーンの曲とは分からなかったし、また、これはこれで、なんでクイーンがこんな曲やるのかなぁ、とも思った。
しかし、この曲がアメリカで大ウケした。
初の全米ナンバーワンヒットになる。
そして、セカンドシングル「地獄へ道づれ(Another One Bites The Dust)」も大ヒットし、これも1位に。
突然、クイーンはアメリカでも売れ始め、それと共に世界的にもようやくクイーンのサウンドが評価され始めるようになったのだ。
不思議なもので、一度そうやって評価が高くなると、過去の曲も評価され始めるようになる。
人の言うこと、特に音楽評論家なんかの言う事がいかにいいかげんなものかということだ。
ただ、この絶頂期の頃から突然フレディーは短髪になり、口ひげも生やし始め、容姿がずいぶんと変わったのにも驚いた。
その頃はまだ彼がゲイである事もあまり知られていなかったので、私もどうして、この容姿なのか、どうしてこのヒゲなのかなぁ、と不思議に思っていたものだ。
それに伴って、クイーンも若い女の子のアイドルという感じではなくなった。
Freddie Mercury Tribute : God save the Queen HQ.
それにしても、いつもコンサートの最後に、この格好で出てこれる人って、フレディー・マーキュリーしかいないかなぁ。
#4「KISSから始めた」 - KISSのヤングミュージックショウ〜1977年
KISS - Detroit Rock City - Tokyo 1977
よく洋楽を聴かない人というのは、洋楽ばかり聴いているような人に「なんで言葉の分からないのに聴くの?」という質問をするものだ。私も中学生の頃はこれとまったく同じ疑問を持っていた。
家では5つ上の姉が、ビートルズ、シカゴ、サンタナ、スージー・クワトロ、ミシェル・ポルナレフ、シルヴィー・バルタン、ギルバート・オサリバンといったアーティストの曲をよくカセットテープで聴いていたが、それらの外国語の歌の良さが自分にはまったく理解できなかった。
何を言っているのか分からない歌。それがその頃の私にとっての洋楽だったが、しばらくすると、日本には姉のように洋楽が好きな人がたくさんいる、ということ。また、ビートルズというグループの曲にたくさんの日本人が熱狂していた、ということ。そういった事実を知ることになった。
そういった事実を知ると、私はむしょうに「自分も洋楽が分かるようになりたい。」と思うようになった。
私は、手始めに、そう耳慣らしに、どれかひとつのグループを決めて、そのグループの歌ばかりを聴いてみようと思った。
そんな想いから、洋楽の勉強という意味で最初に聴き始めたグループがKISSだった。
当時、中学生だった自分のような男子には、あの歌舞伎の隈取りのようなメイクもカッコよく思えたし、なんとなく分かりやすそうなグループ、楽しそうなグループに思えたのだろう。
別にその当時活躍していたクイーンでもエアロスミスでもよかったのだが、たまたま私はKISSを選んだというわけだ。
初めFM雑誌の記事か何かでKISSの写真を見た時はやっぱり「怖い」「気持ち悪い」というイメージが大きかった。とにかく顔(メイク)が怖かったし、胸毛ももじゃもじゃとしてて暴力的なイメージがあった。だから、そんな人たちの音楽を聴くことには、自分なりにけっこう勇気のいる決断だった。
なぜなら、まだまだ当時の日本には「ロック・イコール・不良」のイメージは残っていたからだ。
しかし、今KISSの音楽を聴くと案外整った音作りに聴こえるものだが、当時(1977年頃)初めて聴いたKISSの音楽は、私の耳には、とてつもなく「うるさい」「めちゃくちゃな」音楽にしか聞こえなかった。
日本の歌謡曲しか聞いたことのなかった耳に、あの音楽はうるさ過ぎる音楽に聞こえて当然だろう。
それにリード・ヴォーカルのポール・スタンレーのあの声にも驚いた。
あんな声、発声で歌を歌う日本人は当時いなかった。
とにかく驚いた、というか不思議に感じたKISSの音楽だったが、その後私は何度も何度もKISSの歌を聴くうちに不思議なことに耳が慣れてくるのを感じた。
そうなってくると、また不思議なことに、音の一つ一つ、楽器の一つ一つの音が聴こえてくるようになってくる。
やがて、その音とリズムが快感となってゆき、今度は何度も何度も聴きたくなってくるようになった。
この頃には、もちろんもうKISSの歌が耳にうるさく感じなくなっていた。ポールの声もそうだ。
この、初め「うるさいだけの音楽」が「快感」になってゆく過程、感覚というのは、この後も私はロックという音楽を聴いてきた中で何度か味わってゆくことになる。
しかし、この感覚というのはなぜか洋楽、特にロックでしか味わうことのない感覚で、今だに私は他の音楽ジャンルではこういった感覚というのはないのだ。
こうして、すっかりKISSのファンになってしまった私にとって、ある日最高のテレビ番組のプレゼントが届いた。忘れもしない1977年4月の初来日の武道館公演の様子を放映したNHKの「ヤング・ミュージック・ショウ」。
当時、ビデオレコーダーも世に出ていなかった時代だ。一度のチャンスに賭けて、時刻通りににテレビの前に座り、そして私は観た。
もちろんインターネットもYouTubeも無い時代だ。写真でしか見たことのなかったKISSの初めて見る動く映像だった。
その時おそらく15歳だった私には、ものすごい衝撃と驚きの映像だった。
見たこともない怪物のような男たちが、物凄い音と物凄いステージを展開していた。音楽のコンサートというよりは、物凄いスペクタクルショーという感じだった。
現在でもKISSのライブというのは桁外れに凄いが、洋楽聴き始めの15歳の青年がこのライブを観た時のショックがスゴかったということは、皆さんにも想像できるでしょう。
何しろ口から火は吹くは、流血するは、ギターは燃えるは、花火に爆竹、、、と、とにかくスゴかった。
こうして私は洋楽の桁違いの魅力のとりこになっていきました。
そんなきっかけをつくってくれたのが、私にとってはKISSというグループだった。
今でもKISSは好きだし、移民の貧しい生活から苦労してスーパースターになったジーン・シモンズ(ベース)という人物にも興味があって、彼の本「ミー・インク」も買って読んだ。とても面白い本で、彼が非常に頭のいい実業家であるということもよく分かった。
けっきょくは、ミック・ジャガーやジーン・シモンズのようなクレバーなメンバーのいるグループは強い。生き残っている。
このデビューしてまだ間もないと思われる頃の映像もスゴく面白いですねぇ。
なんか地方のチープな感じの舞台だけど、最後はやっぱり思いっきり爆破させてます。
#3「驚き」の無くなった理由は? Part3
「驚き」の無くなった要因の最後。三つめ。
③ディスコとマイケル・ジャクソンとマドンナ
これはかなり決定的なダメ押しになったと私は思っている。
70年代の終末期のディスコブームは私を洋楽に目覚めさせたエキサイティングなムーブメントだったが、私は今、その前後の時代を含めて大きくアメリカの音楽シーンを俯瞰して見ることができるようになり、分かってくる事が増えた。
それは、ディスコミュージックというものがあまりに巨大なムーブメントとなったがゆえに、その前までの音楽シーンを大きく変えてしまった、いや一掃してしまったという点だ。
このディスコ・ブームのおかげで、多くの優れたアーティストが自らの音楽性を崩してしまい、迷走してしまったのが見て取れる。
とりわけジェームズ・ブラウンを筆頭とするソウル歌手やマーヴィン・ゲイなどのモータウン勢がチャートから冷遇され、一気に姿を消していったのが分かる。
またシンガーソングライター、ロックバンドまでもが、ディスコミュージックに侵食され、あるいは利用し、今までとは異なるスタイルを見せていた。
それをやったことにより成功したアーティストもいたが、失敗して失望を買ったアーティストも多かった。
そういったいわゆる「ディスコの時代」というのは、70年代の終わりと共に終焉を迎えるのだが、そのディスコ最終期の1980年頃に登場してきたのがマイケル・ジャクソンとマドンナだった。
この2人のアーティストの最大の特徴は、ずばり言ってダンスとコンピュータによる演奏だ。
ダンスをしながら歌う歌手はもちろん昔からいたし、コンピュータ演奏もこの時代すでにあった。
しかし、この2人ほど、それを全面に恥ずかしげもなく押し出してきたアーティストはいなかった。
そして、これほどレコードの売れた歌手もいなかった。
マイケル・ジャクソンはご存知の通りジャクソン5という少年たちによるグループのリードヴォーカルで、グループとして人気はあったものの、シーンのトップに立つような人気とは言えなかった。
当時はほかにもっと凄い演奏力を持った白人のバンドや優れた楽曲を作る偉大なアーティスト達がいたので、彼らは音楽シーンのメインというよりは、脇役で時々ヒットを飛ばす程度のヴォーカルグループだった。
また、多くのソロ女性歌手に関しても同じことが言える。
そんな状況の中、初めて黒人のソロ歌手であるマイケルと、女性歌手のマドンナがマンモスセールスを記録したのだ。
この二人の大成功の音楽シーンに与える影響はとてつもなく大きかった。
この時期から以後、この二人を真似する歌手が続々と出現し始めるようになった。
この二人のステージは、もちろん自身のソロコンサートなどの時は生演奏で、歌も口パクではなかったが、そういったもの以外のかなりのステージ(例えば、一曲だけ歌う◯◯授賞式など)を、テープ演奏に口パクで済ましていた。
そういった映像を目にして、あれでいいんだ。生演奏なんてしなくていいんだ。コンピュータで作れば。
バンドも無くてもいいんだ。歌もそんなにうまくなくても。
ステージは口バクで、ダンスでアッと言わせればいいんだ。
そういった認識が、この二人のおかげで一気に世界中に広まってしまった。
それまでのミュージシャンの常識、ライブとは生演奏を聴かせるもの、という当たり前の常識をくつがえしてしまったのだ。
この二人の音楽は、生演奏に重きを置かない音楽だった。
ライブの時のバンドで有名になったミュージシャンはマイケルのバンドのギターのオリアンティくらいしかいない。
ライブでのバンドの音や響きに特徴らしい特徴も無いし、ライブならではのアドリブもほとんど無い。
むしろCDで聴いた方がコンピュータなので、音が整って綺麗だ。
当然、感動や深みや驚きは薄く少ない。
演奏を聴かせるというより、たくさんのダンサーと踊るダンスパフォーマンスを見せるショウだ。
しかし、多くの新しい歌手は、この二人を真似し、レコード会社はこういった音楽を大量生産し始めた。
ラジオはこのタイプの曲をたくさんオンエアし始めたのだ。
なぜなら、それがビッグセールスを記録するようになったからだ。
それが音楽業界というものだ。
コンピュータで作曲すれば、どんどん曲は短期間で出来上がる。
そして、たくさん売れる。
この流れはもう止められなくなった。そして、それは現在にまで至っている。
たしかに現在でも生演奏主体のロックバンドはまだたくさん存在しているし、探せば、聴き手に感動と驚きを与えるアーティストもいる。
しかし、もはやメインストリームでないことはヒットチャートを見ればすぐに分かる。
そして、音楽シーン全体を見ても相対的にそうした音楽、ロックグループの形態をとるアーティストは少なくなった。
と、簡単に最近の「驚き」の減ってしまった洋楽について考察してきたが、
当ブログではあくまで私の実体験として「驚き」を感じた洋楽を綴ってゆくつもりだ。
そのため、時代が限られてしまったり、ジャンルが偏ることになるとは思うが、その点はご了承いただきたい。