洋楽で驚いた時代の話

かつて洋楽には「驚き」があった…

#7「ロッド・スチュワートを初めて見た!」〜ユニセフコンサートでのHな体の動き(1979年)


Rod Stewart - Da Ya pensa que eu sou Sexy 1979 'UNICEF Concert'(HQ Audio)

1979年、当時のスーパースターばかりを集めて「ミュージック・フォー・ユニセフ・コンサート」というチャリティーコンサートがニューヨークの国連本部会議場で開かれた。

 

参加したのは、当時飛ぶ鳥を落とす勢いのビー・ジーズに、EW&FABBAアンディ・ギブ、ドナ・サマーロッド・スチュワートオリヴィア・ニュートン・ジョンという夢のように豪華な顔ぶれだった。

 

そのコンサートの模様は日本でも民放のテレビ局で放送がされ、家庭用のビデオデッキなど無い時代だったゆえ、私はワクワクしながら、その放送時間が来るのを待ったのを記憶している。

 

しかし、その民放放送(たしかフジテレビ)の番組の作りがいかにも日本的で、ほんとうの洋楽好きを無視したような最悪なものだったために、観ててすごく腹が立ったことを覚えている。

 

ただコンサートをそのまま放送すればいいのに、わざわざ一般のファン(ほとんど若い女性)をテレビ局のスタジオに集めて、MCの桑田佳祐と一緒に映像を観るというスタイルだった。

 

出場したアーティストが一曲歌うごとに、スタジオに画面が切り替わり、そのたびに桑田が「どうでしたかー!」とか「次はアンディ・ギブでーす!」なんて言ってからまたコンサートの画面に戻るという、なんとも白ける構成だったのだ。

おまけに「~のファンはいるかー!」とか桑田が煽って、もったいぶったりして時間を引っ張ったりするところもドッチラケだった。CMも多かったような気がする。

そんなブツ切りのライブなど洋楽ファンが観たいわけがないではないか。

 

まあWOWOWさえも無い時代だったので、そんな洋楽がよく分かっていないような民放テレビ局のおじさんスタッフが作った番組だったのだろう。

 

そんな話はさておき、その歴史的なコンサートの方は、ほんとうに次々とスーパースターが登場しては新曲を披露してくれるという夢のようなコンサートであった。

このコンサートで披露した曲の印税はすべてユニセフに寄付されチャリティーに使用されることになっていた(ただし全部の曲というわけではない)のだが、このコンサートで披露したビー・ジーズの「失われた愛の世界」とロッド・スチュワート「アイム・セクシー」の2曲は、その後見事に全米No.1に輝いている。

 

民放の放送の仕方がひどかったとはいえ、この時代あまり洋楽のライブをこれだけ長い時間放送する番組は珍しかったので、私はかなり興奮しながら視聴したのを覚えている。

 

今となっては出演したアーティストのうちの何組か(ビー・ジーズ、アバなど)はリップシンク(口パク)だったという事を知ってがっかりもしたが、放送を観ている時は、ほんとうに海外のアーティストのレベルの高さ、歌のうまさには驚いたものだ。

 

ただ、このコンサートの時期というのはちょうどディスコブーム真っ只中の時代だったので、私はビー・ジーズドナ・サマーは当然ディスコソングを歌ってくれると思っていたのに、この両者は共にバラード曲しか歌わなかったのには少しがっかりしたのも覚えている。

 

そんな中、一人不思議なディスコソングを歌ったのがロッド・スチュワートだった。

 

原題「Da Ya Think I'm Sexy」原題邦題「アイム・セクシー」というこの歌は、この子供の為のチャリティー・コンサートにはふさわしくない、などと後になって言っている者がいたようだが、それは全くもってナンセンスな意見だ。

 

だいたいどんな芸術、芸能、音楽であっても真の意味を探ってゆけば「SEXY」「SEX」に行き着いてるものというのは多いもので、そういうものを全部排除なんかしたら、ポピュラーミュージックでチャリティーなんてできない、という事になる。

それに子供のチャリティーに合った歌だけにしろというのなら童謡コンサートでもしたらいいのであって、ポップアーティストを集めているのだから、そういう事を言う輩は何も分かっていない。

 

そういえば、これと似たような事が他のチャリティーコンサートにもあったのを覚えている。

それは1985年に行われた「ライブエイド」(最近クイーンの映画でも話題になった。)という大規模なチャリティーコンサートだった。

このライブの大トリに出てきたのがポール・マッカートニー

そこでポールが歌ったのはビートルズの名曲「レット・イット・ビー」だった。

すると後日になって、なんと歌詞の内容が「なすがままに任せなさい」と言った意味なので、この変革を求める意味を含むチャリティーにふさわしくない、などと言った大バカジャーナリストがいたのだ。

ポピュラーミュージックというものをまったく理解していない固い頭の人間というのはいつの時代にも存在するものだ。

 

さて、そんな話はさておき、時代はビデオもYouTubeも無い1979年だ。

このコンサートのテレビ放送の時まで私は動くロッド・スチュワートというものを見たことがなかった。

雑誌などで彼の写真を見ていた私のイメージとしては、野生的で男っぽいロックンローラーのイメージだった。

しかし、このチャリティーコンサートで初めて見るロッド・スチュワートの姿は、想像していたものとはずいぶん違ったものであった。

 

また、その姿以前にまず感じたのは、その曲の意外性であった。

ロックを想像していたので、意外にもソフトなその曲調といい、完全なディスコ調のリズムといい、あれっ、と思ったのを覚えている。

あれ?ロッド・スチュワートってこんな感じなんだぁ、と思った。

ちっともロックンロールって感じではないし、なんか伴奏も長いし、ギターソロとかも無いし、なんか不思議な曲だなぁ~、という感じだった。

 

そして、ロッドは口パクではなかったので、何かラジオで聴く感じと声も違って聞こえた。

正直これ、うまく歌えてるのかなぁ、という感じもしたのを覚えている。

 

そして、何よりその容姿だ。

この初めて見るロッド・スチュワートの姿には、当時17歳だった私は大きな衝撃を受けたのだった。

それはまるで宇宙人のような違う星から来た生き物を初めて見るような驚きだった。

 

最近あまり言わなくなったが、当時「パイナップルヘアー」と呼ばれた美しく金色に輝やく髪。

黒いテカテカと光るタイツの足とお尻はムチムチとボリュームがあって、まるで女性のよう。

顔も、今まで私が見たことのないような高い鼻だった。

しゃがれた声も不思議だった。

 

といった様に、この人はいったいなんなんだろう、と思うくらい不思議な雰囲気がロッドにはあった。

この人は、ほんとに男なのか女なのか。地球人なのか宇宙人なのか。どうしてあんな声をしてるのか。

すべてが自分にとっては初めて見る不思議な人間であった。

 

そして、さらに惹きつけられたのは、その歌っている時のロッドのなんとも言えないHっぽい体の動きだった。

まるで女の子のようななよなよとした浮遊感のある動きで、なんか凄いHワイセツなものを見ている気分がしてしまった。

子供の自分が見てはいけないようなものに思えたのだ。

 

今こうして映像を観てみると、そんなに驚くほどHな感じはしないし、歌もうまい。演奏はやけにレコードと同じ音なので、レコードの音源に取り替えているかもしれない。

それにしても当時は衝撃だった。


Rod Stewart Tokyo, Japan, March 1979

こちらの映像は、チケットが凄い競争率になった日本初公演の様子。

やっぱりこの頃のロッド、ほんとにかっこよかった。