#6「ビー・ジーズのファルセット・ヴォイス」〜世界をあっと言わせた。私はえっ?と驚いた。(1978年)
Bee Gees Stayin Alive Extended Remaster HD
Saturday Night Fever - Night Fever (Bee Gees)
1978年に公開(日本)された「サタデー・ナイト・フィーバー」という映画は世界的な大ヒットとなり、日本ではなぜか「フィーバー」という言葉がやたらに色々なところで使われるようになる流行語となった。ちなみにパチンコのフィーバーというのは、この流行から始まっている。
この映画の魅力はなんといっても当時無名の新人だった俳優ジョン・トラヴォルタのダンスと、全編に流れるギブ三兄弟のビー・ジーズのディスコ・ミュージックだ。
ビー・ジーズは1963年デビューのバリー・ギブ、モーリス・ギブ、ロビン・ギブのギブ三兄弟のヴォーカルグループ。
この映画でビー・ジーズがファルセット・ヴォイス(裏声)を駆使して歌う「ステイン・アライブ」と「恋のナイト・フィーバー」は共に全米No.1の大ヒットとなり、それらを収録したサウンドトラックアルバムは全米で24週1位、サウンドトラック盤としては当時史上最高の4,000万枚(!)という驚異的な売り上げを記録した。
私にとっても、この「ステイン・アライブ」、「恋のナイト・フィーバー」の二曲というのは、当時まったく今まで聴いたことのないような驚きのサウンドに感じたのを覚えている。
私は当時まだ、前々回のブログに記したように、洋楽をちょうど聴き始めたくらいの状態だったので、この二曲に関しては、初め大きな2つの勘違いをしていた。
それは、①女性ヴォーカルだと思っていた。②二曲あると思わなかった。(二曲の区別がつかず、一曲だと思っていた)
特に①のこれらの曲が男性が歌っていたという点がまず、とにかく驚いた。
今となってみれば、当時でもすでにスタイリスティックス、フォーシーズンズ、アース・ウィンド&ファイア等、ファルセット・ヴォイスで歌っていたグループはいた事が分かるが、当時の私にとっては、これもまたまったく初めて耳にする発声法だった。
そしてまず、この声で歌う意味が分からなかったのだ。
②の二曲の区別がつかなかった点も今となっては、ぜんぜん違う曲と分かるが、その当時はまったく区別がつかなかったものだ。
そして、もう一つ驚いたことがあった。
それは、ビー・ジーズはこの「サタデー・ナイト・フィーバー」以前に、日本で一度大ブームを起こした時期があったということだ。
それはやはり映画のサントラで、「小さな恋のメロディー」という1971年の映画の主題歌で、特に日本では大ヒットを記録している。ただし本国イギリスとアメリカではまったくヒットしなかった。
当時、特に日本の若い女性に大人気で、私の姉もドーナツ盤(シングル盤)を買って、よく家で聴いていたのを覚えている。
しかし、その時のビー・ジーズの曲は、ソフトでとてもゆっくりとしたテンポのバラード曲だった。
そのため、この「サタデー・ナイト・フィーバー」の曲を歌っているビー・ジーズとこの「小さな恋のメロディー」のビー・ジーズが、私の頭の中ではまったく一致しなかった。
というか、私はしばらくは別のグループだろうと思っていたのだ。
たしかにグループ名は同じだが、きっと別のグループだろうと思い込んでいたのだ。
そのくらいサウンドも声もまったく違い、まるで別のグループが歌っているような変貌ぶりだった。
しかし、この「サタデー・ナイト・フィーバー」の異常なまでの大ヒットは、ビー・ジーズ三兄弟の関係を微妙なものにしてしまったという事が、後の彼らのインタビュー記事などから明らかになっている。
特に、グループで曲によってリード・ヴォーカルを分け合っていた長男のバリーと弟ロビンの二人の関係はこの大ヒットの時期から少し微妙になったようだ。
なぜなら、この「サタデー・ナイト・フィーバー」の時期に大ヒットしている曲は、すべて長男バリーのファルセット・ヴォイスを中心とした楽曲だけだからだ。
翌年、このビー・ジーズの大ブームの波に乗って発売されたアルバム「失われた愛の世界」に至っては、全編バリーのファルセット・ヴォイスをメインにした楽曲のみとなり、ロビンのヴォーカルをメインにした楽曲は完全に姿を消した。
しかし結果、アルバムはまた驚異的な大ヒット。シングルも2曲連続で全米No.1となった。
ロビンのビブラートのかかったヴォーカルは、この時期ほぼ無視された。
きっとその方が、この大ヒットを維持できるから、そうしたに違いない。
それがレコード会社の意向かグループの意向かは定かではないが、大ヒット、大ブームを維持させるためには、それが最善の策だったとも言える。
こうしてビー・ジーズは、とにかくバリーのファルセットをメインにしたディスコ調の曲さえ出せば、ほぼ百発百中売れるようなスーパーグループとなったのだ。
私は、このアルバム「失われた愛の世界」を聴いて、ほんとうにその内容の素晴らしさに感動してしまい、それこそ擦り切れるほど何回も聴いた。
それゆえビー・ジーズの次のアルバムというのが楽しみで楽しみでならなかった。
この「サタデー・ナイト・フィーバー」の後、ビー・ジーズはピーター・フランプトンらと主演したミュージカル映画「サージェント・ペッパー」を発表したが、映画は大コケ、曲も全編ビートルズのカヴァーだったので、ビー・ジーズのオリジナル作品はお預けとなり、またずいぶんと待たされたという感じになった。
ただ、今資料を見てみると1979年の「失われた愛の世界」から3年しか経っていないので、そんなには長くなかったことに気づくが、とにかく1982年、全世界が待ちに待った注目のビー・ジーズの新作は発表されたのだ。
それが「リヴィング・アイズ」というアルバムだった。
このアルバムでは、ロビンのメインヴォーカルの曲が何曲か復活していて、曲調もディスコ色でない曲が多く占められていた。
そして案の定、このアルバムは大コケにコケた。
期待されたファースト・シングル「愛はトライアングル」も全米1位はおろか30位がやっと。
私も期待して、このシングル盤を買ったが、もうビー・ジーズの大ファンになっていた私でも、残念ながら何度聴いてみても、いい曲に思えなかった。
なんで、こんな曲になっちゃうの?というくらい、はっきり言ってひどい曲だと思った。
ただ救いなのは、今、アルバムを通して聴いてみると、何曲かけっこう良い曲もあると感じることだ。
ロビンのヴォーカル曲にも良いものがある。
ただ確かに、大ヒットはしないだろうという事はよく分かる。
きっと、長男バリーの優しさ、兄弟愛から、このアルバムはこうなったのだろう、という事は今になってみると分かるのだ。
この「リヴィング・アイズ」の大失速で、ビー・ジーズはスーパーグループから、また中堅のグループへと戻ってしまったが、きっとそれもグループが兄弟である事ゆえのことだったのだ。
しかし、ここで私が思うのは、つくづくポピュラー・ミュージックのヒットの要因というのは紙一重なものだなあ、ということ。
そして、その要因のひとつが、リードヴォーカルにあるということ。
これは、やっぱりなんだかんだ言っても、重要な要因。
私が今まで聴いてきた洋楽のグループでも、リード・ヴォーカルが変わっただけで、大ブレイクしたり、大失速したりする例を何度か見てきた。
声というのものは、ほんとうに不思議で、人間が惹きつけられる声と、そうでない声というのは必ずある。
それは美声だからといって惹きつけられるとも限らず、その逆に一聴して悪声と思えるようなリード・ヴォーカルのグループが大人気になる、という事も多い。
そこには法則があるようで無い。
また、時代によっても、この人の声が好かれる時代と好かれない時代などもあるようで、人間の感覚、聴覚、というものは不思議なものだ。