#3「驚き」の無くなった理由は? Part3
「驚き」の無くなった要因の最後。三つめ。
③ディスコとマイケル・ジャクソンとマドンナ
これはかなり決定的なダメ押しになったと私は思っている。
70年代の終末期のディスコブームは私を洋楽に目覚めさせたエキサイティングなムーブメントだったが、私は今、その前後の時代を含めて大きくアメリカの音楽シーンを俯瞰して見ることができるようになり、分かってくる事が増えた。
それは、ディスコミュージックというものがあまりに巨大なムーブメントとなったがゆえに、その前までの音楽シーンを大きく変えてしまった、いや一掃してしまったという点だ。
このディスコ・ブームのおかげで、多くの優れたアーティストが自らの音楽性を崩してしまい、迷走してしまったのが見て取れる。
とりわけジェームズ・ブラウンを筆頭とするソウル歌手やマーヴィン・ゲイなどのモータウン勢がチャートから冷遇され、一気に姿を消していったのが分かる。
またシンガーソングライター、ロックバンドまでもが、ディスコミュージックに侵食され、あるいは利用し、今までとは異なるスタイルを見せていた。
それをやったことにより成功したアーティストもいたが、失敗して失望を買ったアーティストも多かった。
そういったいわゆる「ディスコの時代」というのは、70年代の終わりと共に終焉を迎えるのだが、そのディスコ最終期の1980年頃に登場してきたのがマイケル・ジャクソンとマドンナだった。
この2人のアーティストの最大の特徴は、ずばり言ってダンスとコンピュータによる演奏だ。
ダンスをしながら歌う歌手はもちろん昔からいたし、コンピュータ演奏もこの時代すでにあった。
しかし、この2人ほど、それを全面に恥ずかしげもなく押し出してきたアーティストはいなかった。
そして、これほどレコードの売れた歌手もいなかった。
マイケル・ジャクソンはご存知の通りジャクソン5という少年たちによるグループのリードヴォーカルで、グループとして人気はあったものの、シーンのトップに立つような人気とは言えなかった。
当時はほかにもっと凄い演奏力を持った白人のバンドや優れた楽曲を作る偉大なアーティスト達がいたので、彼らは音楽シーンのメインというよりは、脇役で時々ヒットを飛ばす程度のヴォーカルグループだった。
また、多くのソロ女性歌手に関しても同じことが言える。
そんな状況の中、初めて黒人のソロ歌手であるマイケルと、女性歌手のマドンナがマンモスセールスを記録したのだ。
この二人の大成功の音楽シーンに与える影響はとてつもなく大きかった。
この時期から以後、この二人を真似する歌手が続々と出現し始めるようになった。
この二人のステージは、もちろん自身のソロコンサートなどの時は生演奏で、歌も口パクではなかったが、そういったもの以外のかなりのステージ(例えば、一曲だけ歌う◯◯授賞式など)を、テープ演奏に口パクで済ましていた。
そういった映像を目にして、あれでいいんだ。生演奏なんてしなくていいんだ。コンピュータで作れば。
バンドも無くてもいいんだ。歌もそんなにうまくなくても。
ステージは口バクで、ダンスでアッと言わせればいいんだ。
そういった認識が、この二人のおかげで一気に世界中に広まってしまった。
それまでのミュージシャンの常識、ライブとは生演奏を聴かせるもの、という当たり前の常識をくつがえしてしまったのだ。
この二人の音楽は、生演奏に重きを置かない音楽だった。
ライブの時のバンドで有名になったミュージシャンはマイケルのバンドのギターのオリアンティくらいしかいない。
ライブでのバンドの音や響きに特徴らしい特徴も無いし、ライブならではのアドリブもほとんど無い。
むしろCDで聴いた方がコンピュータなので、音が整って綺麗だ。
当然、感動や深みや驚きは薄く少ない。
演奏を聴かせるというより、たくさんのダンサーと踊るダンスパフォーマンスを見せるショウだ。
しかし、多くの新しい歌手は、この二人を真似し、レコード会社はこういった音楽を大量生産し始めた。
ラジオはこのタイプの曲をたくさんオンエアし始めたのだ。
なぜなら、それがビッグセールスを記録するようになったからだ。
それが音楽業界というものだ。
コンピュータで作曲すれば、どんどん曲は短期間で出来上がる。
そして、たくさん売れる。
この流れはもう止められなくなった。そして、それは現在にまで至っている。
たしかに現在でも生演奏主体のロックバンドはまだたくさん存在しているし、探せば、聴き手に感動と驚きを与えるアーティストもいる。
しかし、もはやメインストリームでないことはヒットチャートを見ればすぐに分かる。
そして、音楽シーン全体を見ても相対的にそうした音楽、ロックグループの形態をとるアーティストは少なくなった。
と、簡単に最近の「驚き」の減ってしまった洋楽について考察してきたが、
当ブログではあくまで私の実体験として「驚き」を感じた洋楽を綴ってゆくつもりだ。
そのため、時代が限られてしまったり、ジャンルが偏ることになるとは思うが、その点はご了承いただきたい。